裁判所は筆跡鑑定を必要としていない
最近,裁判官から次のように言われるケースが急増しています。「原告と被告とで全く違った内容の筆跡鑑定が出てくることは多く信用のできるものではない」「筆跡鑑定をやるのは自由だが,お金をかけてまでやるのかどうか,裁判所は重視しないことを知ったうえでやってほしい」
これから筆跡が争点となる裁判をお考えの方はさぞ驚かれていることでしょう。
一方,鑑定人のホームページを見てみると以下のような内容が書かれています。
「鑑定結果に対する根拠に客観性があり,科学的もしくは統計学的な手法であれば十分に証拠能力がある」「鑑定人の技術力が高ければ信憑性がある」「現在の筆跡鑑定は信用に値する」
お分かりの通り,裁判所と筆跡鑑定人では筆跡鑑定の信憑性の考え方は真逆といってもよいでしょう。
いくら筆跡鑑定人が「筆跡鑑定の信憑性が高い」といっても,裁判所が重視しないといっている訳ですから,筆跡鑑定をしてもほとんど効果がないということになります。
裁判所が筆跡鑑定を重要視しない理由
なぜ,裁判所はこのように筆跡鑑定を重視しないようになったのでしょう。
ほとんどの鑑定人は「伝統的筆跡鑑定法」という鑑定ロジックを用いています。この鑑定法は,今から半世紀以上前の昭和40年2月21日の最高裁判決で次のように判断されています。
「いわゆる伝統的筆跡鑑定法は,多分に鑑定人の経験と勘にたよるところがあり,事の性質上,その証明力には自ら限界があるにしても,そのことから直ちに,この鑑定法が非科学的,不合理であることはできないのであって,筆跡鑑定におけるこれまでの経験の集積とその経験によって裏付かれた判断は鑑定人の単なる主観に過ぎないもの,といえないことはもちろんである」
「伝統的筆跡鑑定法」は半世紀以上も前の最高裁判決で「証明力が限界」とすでに判断されています。いまだにこの鑑定法が用いられているのは,後半で述べている「経験と経験の集積によって裏付けれた鑑定人の単なる主観に過ぎないもの,といえないことはもちろんである」という判例からでしょう。後半の判例が現代においても通用するかと言えばそんなことはありません。なぜなら,戦後20年足らずの半世紀以上も前に民間の筆跡鑑定人がいたとは考えられないからです。即ち,この時代に筆跡鑑定を行ったと想定される人物は,警察組織の筆跡鑑定を熟練した捜査員(官)と思われます。よって,「経験の集積とその経験によって裏付かれた判断」という理屈が成り立つのです。
一方,筆跡鑑定人は資格制度もなく,その上多くの鑑定人は鑑定技術や知識の乏しい「にわか鑑定人」や陳腐化されたマニュアルに沿って鑑定書を作成する鑑定人というには程遠い「鑑定書作成人」が大勢を占めています。信じ難いと思われるのも無理はありませんが明らかな事実です。このような人物が,経験と経験の集積のある鑑定人と言えるはずもありません。つまり,後半部分の判例は時代錯誤であり,今の多くの筆跡鑑定人には当然当てはまらないのです。
また,私は「伝統的筆跡鑑定法」は,筆者識別ができないという研究結果を出しています。これについては,私の記載したアメブロに詳述していますので是非ご覧ください。
さて,筆跡鑑定の信憑性についての議論は半世紀以上も前から続いておりますが,その答えはいまだに出ていません。その理由は,鑑定結果が本当に正しいのか間違っているのか未来永劫分からないとされているからです。
極端に言えば筆跡の真実は闇の中にあり,鑑定結果を全て間違うような筆跡鑑定人が存在しても淘汰されないばかりか,自身が鑑定ができないことすら分かっていないのです。ですから,鑑定ができない鑑定人であっても永久に筆跡鑑定人として君臨し続けることになります。残念ですが,これが現在の多く筆跡鑑定人の実態です。
筆跡鑑定の信憑性が低いといわれる理由について2つの仮説が立てられます。その一つは,筆跡鑑定の信憑性は端から低いという仮説です。二つ目は,筆跡鑑定の信憑性は非常に高いのですが,多くの筆跡鑑定人が鑑定ができないことから,筆跡鑑定の信憑性が低いと言われているという仮説です。
このどちらかを証明すれば,半世紀以上も議論されながら一向に答えが出なかった筆跡鑑定の証拠能力と信憑性が直ちに明らかとなります。また,現存している筆跡鑑定人の鑑定能力も暴露されることになります。そうなれば,筆跡鑑定のできない鑑定人の多くを淘汰することが出来ます。この詳細については後述します。
裁判所の言っていることは正しいのか
果たして,「原告と被告とで全く違った内容筆跡鑑定が出てくることは多く信用のできるものではない」「筆跡鑑定をやるのは自由だが,お金をかけてまでやるのかどうか,裁判所は重視しないことを知ったうえでやってほしい」という裁判所の見解が正しいのかを述べてみます。
「原告と被告とで全く違った内容筆跡鑑定が出てくることは多く信用のできるものではない」 筆跡鑑定人は玉石混合で玉よりも石のほうが圧倒的に多いことは知られていません。所詮,誰もが筆跡鑑定人と名乗れる資格制度のない自称筆跡鑑定人の集まりですから,全く異なった内容の鑑定書が出てくることは当たり前です。今更,裁判所は何を言っているのでしょう。資格制度のない人物が書いた筆跡鑑定書ですから,その有効性は裁判所が吟味・検討するしかないのです。即ち,裁判所がこれを怠り鑑定結果のみで筆跡鑑定の信憑性を否定していることをものがたっています。
「筆跡鑑定をやるのは自由だが,お金をかけてまでやるのかどうか,裁判所は重視しないことを知ったうえでやってほしい」 例えば,食卓に1枚のメモがあったとします。メモは,両親のどちらかが書いたものです。家族の人であれば,「父親か母親のどちらかが書いたものか」はすぐに分かるはずです。いうまでもなく,筆跡で筆者識別は可能なのです。ところが裁判では,あなたが「母親の筆跡である」といくら主張しても,「お金をかけてまでやるのですか?ご自由にどうぞ。たとえ筆跡鑑定をしても重視しませんよ」といってあなたの意見は軽視されるのです。残念ながら,全く異なる筆跡であっても「真筆」と判断された歪な判決は枚挙にいとまがないのです。筆跡鑑定は証拠能力に限界と言っていますが,状況証拠も同様に証拠能力に限界があることには変わりなく,筆跡鑑定だけを軽視するといった大きな過ちを犯しているのです。
一方,紀州のドンファン遺言書の事件では「(令和6年)の6月21日に行われた判決で「筆跡の鑑定書などから筆跡には筆の癖など個人の変動は大きいものの、野崎さん固有の筆跡、資料に恒常的に表れている筆の癖などが認められることから、遺言書と対照資料と同一人物であると結論付けていて、野崎さんの筆跡とみて相違ないなどと指摘された」とニュース記事に書かれています。これが事実であれば,筆跡鑑定を重視しないと言っておきながら,かたや別の裁判では筆跡鑑定を重要な証拠と位置付けていることは矛盾そのものです。「お金をかけてやるのは自由だが裁判所は重視しない」と裁判官が法廷で述べることは公平性を欠く裁判になりかねません。こんなことがあってもよいのでしょうか。
非常に危険なことを裁判所は行っている
突拍子もないことを書きますが,資料がきちんと整っている遺言書の真偽は,私にとっては難しいものではありません。短時間に且つ正確に筆者識別ができます。これが嘘であれば,私は筆跡鑑定の業界に戻らない覚悟です。私のいうことが「真実であるかを調査する」というのであれば喜んで実験台になります。こんな私が容易に「偽造遺言書」と断定した半数以上が,「真筆」と判断されている現実があります。こんなことが許される訳がありません。筆跡鑑定が出来ない鑑定人が数多く存在していることが筆跡鑑定の信憑性を低くしているのであり,正しく鑑定が出来る鑑定人がいることすら認めずに,どの鑑定人も鑑定技術・能力は同じと十把一絡げにしていることは大きな誤りなのです。さらには,筆跡鑑定は証拠能力に限界があると決めつけ,状況証拠を筆跡鑑定よりも優越した結果,とんでもないことが起こっているのです。私は,善良な方の権利と財産が失われた裁判を数多く経験しています。私が筆跡鑑定人と名乗るからには,裁判所がこのことが分かるまでと本気で闘う決意をしています。それほど,善良な依頼人ともども悔しい思いを引きずっているのです。
偽造はやったもの勝ち
現状では,自筆証書遺言はやった者勝ちと言って間違いないでしょう。状況証拠であっても証拠能力が高いとはいえず,それに加えて筆跡鑑定を軽視すれば偽筆である証拠を揃えることはとても難しいからです。残念ながら,筆跡鑑定を軽視することは偽造を助長することにも繋がっているのです。
筆跡鑑定人は本当に筆跡鑑定が出来るのか
そこで考えたのが公開試験です。これまでの筆跡鑑定の大きな問題は,様々な筆跡鑑定人が出した鑑定結果が正しいのか間違っているのか分からないことに尽きます。ですから,筆跡鑑定の信憑性や鑑定人の個々の能力が分からないのです。これを解決するには,初めから筆跡の真偽が分かっている試験問題を10問程度作成し,鑑定人に公開試験を受けてもらえばよいのです。その方法とは,Aさんが書いた遺言書とBさんがそれをなりすまして書いた合計2枚の遺言書を試験問題❶(偽造筆跡)とし,それとは別にCさんに2枚の遺言書を同じように書いてもらいこれを❷(同一人)とします。つまり,この偽造と真筆の両方の筆跡を混ぜて試験問題をつくり,各々の鑑定人の筆跡鑑定結果の正答率を暴くという試験です。これについてはアメブロに詳述していますので参照ください。
私は,この公開試験に参加しない鑑定人は筆跡鑑定人を辞するべきと考えています。なぜなら,このような鑑定人が筆跡鑑定の信憑性をここまで低下させた張本人だからです。彼らのホームページには「筆跡鑑定に対する自信」について,これでもかというほどに書かれています。このことを鑑みれば参加しない選択肢はない筈です。彼らが参加する事で筆跡鑑定の信憑性が明らかとなり,筆跡鑑定の信憑性が高い事が立証できれば裁判所の考えは180度変わるのです。そうなればこれから筆跡鑑定で苦しむ方が減っていくことは間違いありません。それこそ,参加することが社会貢献といえるでしょう。あなたの依頼している鑑定人に尋ねてみてください。「公開試験に参加したいと思いますか」と。参加しないとなれば,その鑑定人の信頼性は言わずもがなです。
残念ですが,公開試験をやろうと手を挙げる筆跡鑑定人がいるとは思えません。なぜなら,多くの鑑定人は職を失う可能性が非常に高いからです。筆跡鑑定人の誰もが参加を拒むのであれば,私一人が実験台になることも辞さない覚悟です。私の鑑定能力が低ければ筆跡鑑定人を辞職することを誓います。司法と闘うことは並大抵のことではなく覚悟が必要です。筆跡鑑定人は,筆跡鑑定に対する信念,覚悟,突出した技術力,正義感がなければ務まりません。そうでなければ,善良な方を救うことが出来ないのです。
筆跡が最大の争点となる裁判が,あろうことか筆跡鑑定を軽視するという馬鹿げた現状があります。非常に滑稽に思えてなりません。あまりにも理不尽な裁判所の考えによって,善良な方の権利や財産が脅かされています。これから裁判を起こそうとしている方で「筆跡が明らかに異なる」と思われている方はたくさんいらっしゃるでしょう。私はこれに怯むことなく訴え続けます。これ以上,多くの方の苦しむ姿は見たくありません。私の人生をかけてでも筆跡鑑定の信憑性が高いことを証明いたします。勇気を出して,私と一緒に闘っていきましょう。
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